お金がない人、お金を稼ぐ人|形而上学的視点
お金との関わり方について質問を受けることがあります。
お金の話題は、いわゆるスピリチュアル系の話からは対極にあるような話題ですが、私たちがこの世を生きる上で避けては通れない現実です。
私たちとお金との関わりについて、ビジネス書や経済書、自己啓発本とは一味違う切り口で話題を進めてまいります。
お金がない人とお金を稼ぐ人の違いとは?お金との良い付き合い方とは?
お金は実体のあるものか?
私たちの経済活動に無くてはならないお金ですが、お金(現金)自体に価値はあるのでしょうか?
現金と言っても、印刷が施されたただの紙あるいは刻印された銅やニッケルといった金属であって、紙や金属それ自体にそれほどの価値はありません。
ただその価値を権力者(パワー)である国が保証してくれているので、日本円は少なくとも日本国内では一定の価値あるものとして使用することができます。
しかしながら日本円を海外で使おうと思っても、ほとんどの国ではそのままでは使えません。
一方でアメリカのドルは、紙幣であればアメリカ以外でもそのまま使える国が相当数存在します。
この違いは国の信用力、難しい言葉でいうとその国のファンダメンタルズ(基礎的事項)の違いです。
海外からみると日本は経済的に大きな規模を誇っていますし、外交的にも影響力があり、政治的にも安定している、そして約束を守る努力をする国民性があるなどとという点で、それなりに信用力があると言えます。
しかし、いざ有事となった時に果たして生き残れる国なのでしょうか?
日本人である我々としてはそうあって欲しいですが、海外諸国はそこは厳しく評価しています。
だから国際決済(国と国あるいは外国企業とのお金のやりとり)においては日本円はそれなりの力があるものの、他国の国内で通用するような力(パワー)はないのです。
これに対してアメリカは、世界一の経済規模と圧倒的な軍事力を背景にしたファンダメンタルズの強さが、アメリカの通貨であるドルの信用を国際的に高めているのです。
説明が長くなってしまいましたが、要するに私たちが日常使っている現金というものは、権力者(パワー)の保証であったり、国が持っている信用の力(パワー)があって初めて価値を認められるということです。
つまり、お金とはパワーなのです。
キャシュレス社会
先進諸国を旅してみるとわかりますが、日常の買い物でも海外ではクレジットカードやデビットカードをはじめとしたキャッシュレス(非現金)払いが主流になってきています。
先進諸国では、コーヒー一杯でもカードでの支払いが当たり前のご時世ですが、ひるがえって我が国日本ではどうでしょう?
日本は政治的に安定していることもあって、昔から日本人は現金志向が強いと言われています。
しかしながらちょっと視野を広げるといわゆる現金というものが流通している場面は確実に少なくなってきています。
多くの方の給料支払いや企業間のお金のやり取りは銀行口座に印刷された数字ですし、個人で持っている預金や株や保険といった金融資産も印刷あるいはディスプレイに表示された数字の羅列を眺めているだけといった具合でしょう。
ネットショッピングではクレジットカード、電車の改札はICカード、個人間のお金のやりとりはスマホアプリを使うという人口は確実に増えています。
私の肌感覚ではありますが、食品スーパーやドラッグストアのレジでクレジットカードを使う人の割合も以前に比べて増えてきています。
一方で、私自身もそうですが、ATMを操作する機会は格段に減っていると言えます。
こうなると紙幣や硬貨という現金は世の中から減少していって、ますます口座などに記載された数字の羅列だけがお金の実態という世界になっていきます。
あの日本銀行でさえ、日常の各銀行との取引を現金で行なっているわけでも、または新たに紙幣を印刷しているわけでもなく、コンピューター上の数字のやりとりで済ましているのです。
日本銀行が行なう現金の新規発行と言っても、現代は、コンピューターの数字を書き加えるだけのことです。
もはやお金とは数字の羅列の時代が訪れているのです。
この数字をどれだけ扱うことができるかということが、その方の信用力であり、その方の扱える金額のキャパシティ(容量)です。
今でもそうですが今後ますます、口座を持たせても大丈夫な人物なのか、クレジットカードを作れる人物なのか、という個人の信用の力(パワー)がモノを言う世の中になっていくことでしょう。
個人の信用力は前述した国家のファンダメンタルズに良く似ています。
約束を守る人物なのか、安定した収入はあるのか、人柄や周囲の評価はどうなのか、いざという時生き残れる人物なのか…等々。
お金はパワーそのものであり、それを扱う人間にもパワーが求められるということが漠然とでもご理解いただけたでしょうか?
キャッシュレス社会が訪れようとしている時代ですから、昔に比べれば何となくでもイメージできる方は多くなったと思います。
が、実際のところ、お金とはパワーであるという真理は昔から変わっていないのです。
お金を扱うにはエネルギーが必要
ここで少し見方を変えますが、パワー(力)を発するためには原料となるエネルギーが必要ですね。
ですからお金とはパワーであると同時にエネルギーの固まりということもできます。
パワーがあるものを扱うには扱う側にもパワー、エネルギーが必要です。
例をあげてみれば、暴れまわる動物を抑えるためにはこちらにもパワーが必要ですし、そのためにはかなりのエネルギーを消耗することをイメージしていただけたら良いでしょう。
つまりお金を扱うということは、それなりのエネルギーが必要なのです。
このお金を扱うパワーの源となるエネルギーの貯蔵場所(エネルギーセンター)は、人間の体でいうと、下腹のチャクラ(おへその下10センチ弱、気功では丹田と呼ばれる)に関係すると言われています。
このチャクラは生殖機能にも関係していて、昔から「英雄色を好む(英雄は何事にも精力旺盛であるから、女色を好む傾向も強いということ )」といいますが、その理由はこのチャクラとの関係性にあるのです。
このチャクラは思春期頃に開花し、二十歳前後まで育成され続けます。
肉体的に第二次性徴の時期と重なります。
この時期にしっかりと現世に対するものの見方を確立すること、そしてできるだけ一般社会と関わる体験をすることでこのチャクラはより育まれていき、その結果がこのチャクラのパワーの強弱、エネルギーのキャパシティ(容量)に関係していきます。
十代の過ごし方がその後の人生でどれだけの量のお金を扱えるのかということに影響を与えると言うことができます。
もし、社会と隔絶したような環境で、あるいは温室栽培のような状態であなたがこの時期を過ごしていたとしたら、残念ながらお金を扱うエネルギー量、パワーは弱いと言わざるを得ません。
パワーが弱いのですから、大金を動かすような仕事は向いていないかもしれませんし、実際の収入面でも厳しいかもしれません。
逆にこの時期から社会や経済に興味を持って勉強し、そしてそれに積極的に関わる、また異性に対してまっとうに関心を持つような過ごし方をしてきた方は、 下腹のチャクラが育まれますので、エネルギー量も豊富でお金を扱うパワーに恵まれます。
こういった人はその後大金を扱えるような生活や仕事に恵まれる可能性があります。
お金のない人とお金を稼ぐ人の違いは、その人がお金を扱うためのエネルギーをどれだけ貯蔵できるのか、そしてそのエネルギーを元にしてパワーを発揮できるのかどうか、という違いと言えるのです。
あなたが十代なら…
この文章を読んでいるあなたがもし十代でしたら、ぜひ社会や経済に興味を持ってできるだけそれを学びそして関わる生活を、そして異性にまっとうな興味を持つことを大切にする生活をおくってください。
そうすれば将来経済的に行き詰まる可能性を低くすることができると言えるでしょう。
もしあなたがその時期をとうに過ぎてしまっているのであれば、経済的に困窮しない為には、今後以下のことを心がけたり実践されたりすると良いでしょう。
自分のファンダメンタルズを強化する
まず最初に努力しなければならないことは、自分自身のファンダメンタルズを強化することです。
人としての信用力、総合力を強化することです。
約束を守れる人ですか、仕事に対する姿勢はどうでしょうか、知識は十分に備わっていますか、地に足の着いた考え方ができる人でしょうか、他人からの評判はどうですか、人柄は良い方でしょうか、他人のために骨を折ることができる方でしょうか…。
あなたが他人を評価する時と同じように、他人から見た信用力(パワー)とは、こういったことで評価されるのです。
投資は自分自身に
上記したファンダメンタルズを強化することにも繋がりますが、投資は自分自身に、という心がけは大切です。
金融商品にお金をつぎ込んで、利ざやを稼ぐことも一つの方法でしょう。
ただし投資には成功もあれば失敗もあります。
成功し続けることはほぼ不可能です。
であれば、そのお金を自分自身のスキルアップや見聞を広げることに使った方が良いかも知れません。
何かしらの免許を取得しておけば、将来ある程度の収入は保証されるかもしれません。
頑張って身につけた知識の多さが人々の信望を集め、より大きな仕事をするようになって収入が増えていく可能性だってあります。
一時的な利益を得る事に時間を割くよりも、自分自身を成長させる事、つまり自分に投資することの方が、長い人生で見た時に結局は得であるようです。
世の中でお金持ちと呼ばれる方達は、周囲から見えないところで凄まじい努力をされているものです。
お金を好きになる
「お金が好き」とは表立って堂々とは言えないものですし、この言葉にある種の罪悪感を感じる方は少なくありません。
この言葉の中に一種の強欲さを感じ取る人が多いからでしょう。
でも、好きになって下さい。
強欲さを動機としないで、生活を潤してくれる大切な存在として、感謝を動機としてお金を好きになって下さい。
日常の人間関係の中で、自分が嫌われてるなぁと感じる人のところには足が向かないものです。
反対に自分のことを好いてくれる人のところへは気兼ねなく足を運ぶことができますし、足を運ぶ回数も多いことでしょう。
同じ音(周波数、振動)を出す音叉を二つ並べ、一つだけ叩くと、その振動が叩いていないほうの音叉に伝わって一緒に鳴り出す(共鳴)現象はよく知られた現象です。
人間関係でも好きなものは好き同士で一種の共鳴現象を引き起こします。
ですから自分を好いてくれる人のことは自分も好きになり、その人に会いたいと思うのです。
お金との付き合い方もこれと同じです。
お金はエネルギーの固まりでもあると先に述べましたが、エネルギーを持つものはすべて特有の振動(バイブレーション)を発します。
ですから自分からお金を好きというバイブレーションを出せば、お金の方もこちらに足を運んでくれる機会が増えることでしょう。
好きな人のことは大切にします。
これと同じ様にお金を好きになれば、お金を大切にします。
大切にされるともっともっとあなたの事を好きになります。
こうやって良い循環を作っていきましょう。
お金は使うもの
空からもたらされた水(雨雪)は、地に染み込み、やがて泉から川となって、いずれ海にたどり着きます。
その途中や海から、水は熱せられて水蒸気となって空に戻り、再び雨となって地に降り注ぎます。
この循環は引力、浸透圧差エネルギー、位置エネルギー、熱エネルギー等々のエネルギーの変換によってもたらされています。
エネルギーは常に循環するものなのです。
今年9月に北海道で大きな地震があり、その結果電気エネルギー(電力)の需要と供給のバランスが崩れて大規模停電(ブラックアウト)が発生したことは記憶に新しいと思います。
電気エネルギーは同時同量(使う電気と作る電気を同じに調整すること)が原則で、このバランスが崩れた結果がブラックアウトでした。
また、冬場の冷え込みが予想される時は、水道の蛇口からあえて水を流し続けることで水道管の凍結を防ぐことができます。
エネルギーは使い続ける、あるいは循環させ続けることで新しいものが供給される仕組みになっています。
循環するべきものを止めてしまったとしたら、新しい流入はなくなってしまい、池が次第に淀んで不純物が溜まっていくように、その場のキャパシティは小さくなっていきます。
エネルギーの固まりであるお金に関しても同じ事が言えるでしょう。
自分自身が働けるうちはできるだけエネルギーを循環させる事、つまりはできるだけお金は使う事です。
浪費はいけませんが、普段の買い物では今までよりちょっとだけ良い物を買ってみる、プレゼントや贈答品は奮発する、他人さまのためにお金を使うなど、お金を循環させることに目を向けて消費するのです。
老後の漠然とした不安から、消費はギリギリに抑え、ひたすら貯蓄だけしている人がいらっしゃいます。
こういった方はエネルギー循環の法則から見ると、その人が持っているキャパシティーに到達した所で、次第に池が淀むようにそのキャパシティが小さくなっていき、やがて行き詰まってしまいます。
漠然とした将来の不安のために貯蓄だけ行ない、現在の生活はなおざりで、今を楽しめない人生だとしたら、何のために生まれてきたのでしょう?
貯蓄は具体的な目的と計画性を持って行ない、それ以外は循環させるという目的を持って消費に回すようになれば、これまた良い循環が生まれることでしょう。
まとめ
いわゆる前世からの課題や経験値で、お金に無頓着でいられる人、執着の強い人、金持ちの人生から学ぶ人、貧困の人生から学ぶ人、個人によっていろいろな人生があって当たり前です。
そんなことはわかっているという方も多いでしょうが、それでもやはりお金の事は少なからず気になるものです。
「世の中、金じゃない」というのは極論、理想論だとは思いますが、一面の真理を表している言葉でもあります。
あなたの人生にもう一つ別の価値観を付け加えることで、より充実し生きがいを感じる人生にすることもできるのです。