諦観
私たちは、明日起こるであろうことを予想して、準備をしたり、対策を講じたり、心構えしたりすることができます。
ですが、その予想もしばしば外れたり、修正を余儀なくされることはみなさん経験済みのことと思います。
また、あまりにも事細かに決めすぎると、反比例的に後の修正が厄介なものになってしまうこともご存知でしょう。
私たちは、明日のことについては多少影響を与えることはできますが、完全にコントロールすることはできません。
残念ながら私たちが完全にコントロールできるものなど何も無いのです。
多くの自己啓発系の書籍やワークショップでは、こうすればうまくいくとか、こうすれば成功できるという事を教えてくれます。
もしこれら自己啓発系のものが、本当に本当のことを教えてくれているのであれば、世の中は自己実現を果たした成功者だらけになっていると思うのですが…、そうはなっていませんね?
これらが教えてくれることはある意味で真実なのでしょうが、「私たちが完全にコントロールできるものなど何も無い」という大事な真理が抜けているのです。
人生をコントロールしようとして、誰かに無理強いをしたり、誰かを陥れたり、自分が傲慢になっていたとしたら、この世に生まれてきた意味をはき違えていると言わざるを得ません。
霊的真理は「私たちが完全にコントロールできるものなど何も無い」という法則を教えてくれます。
そしてその法則の下で、どうやって自己実現を果たすべきかという事も教えてくれています。