Q&A シルバーバーチの霊訓に書いてあることは全て正しいのでしょうか?
19世紀に勃興したスピリチュアリズム。 当時、欧米各地では、霊界と交流する小さな集会(交霊会)が頻繁に行われるようになりました。 交霊会では、他界した近親者との交流が行われたり、不思議な物理的現象の実験が行われたり、高級霊と呼ばれる存在から死後の世界の真実や宇宙を支配する法則などについての情報を得るようなことが行われました。
その中でも特に英国では、知識階級、政界、経済界の重鎮やノーベル賞を受賞した科学者までもが交霊会やスピリチュアリズムに関わり、研究対象として真摯に取りあげられ独自に発展していきました。
スピリチュアリズムでは霊界からもたらされた情報を霊界通信と呼んでいますが、この中でも特に高級霊からもたらされた情報を、霊からの訓え(おしえ)という意味で「霊訓」と呼んでいます。
当時、霊訓は様々な高級霊からもたらされておりますが、シルバーバーチと名乗る霊もそのうちの一人です。
私も様々な霊界通信や霊訓に触れましたが、複数に亘って共通性のある記述があるものもあれば、ある霊界通信では触れられているのに他の霊界通信では触れられていないものもありましたし、霊界通信によっては相反する記述が存在する場合もありました。
これをどう理解したら良いか悩まれる方は私に限らずいらっしゃることと思います。
一般に高級霊とは、地球上で修行をしている私たち人間よりも徳性が高く、知恵も豊富で、法則の知識にも長けている存在とされています。
これらを総じて「霊格」と言う言葉で表したりしますが、つまり私たち人間よりもずっと霊格が高い存在を高級霊と呼んでいるのです。
しかしながら高級霊とて、全知全能の神そのものではありません。
彼らも霊的な進化の発展途上にある存在であって、地球に住む人類よりはずっとずっと先を行っているものの、未熟な点があることを忘れてはいけません。
彼らが意図せずとも内容には誤謬があるかも知れないのです。
さらに霊訓自体も、時代背景を考慮しながら読み進めなければなりません。もちろん霊訓によってもたらされる霊的真理そのものは太古の昔から、そして未来永劫も変わるものではありません。
ただそれをわかりやすく伝えるためには彼らなりの工夫をしている点がありますし、何より無限な世界のことを、言葉という有限なもので表現することには限界があったのです。
例としてあげると、宇宙の構成要素の話題が出てくる記述があったりするのですが、現代ならば量子物理学で簡単に説明できる話題でも、100年近く昔の人々にはそのような知識はなかったので、とても単純化した説明で終わっていますし、単語自体も概念化した創作と言えるようなものであったりします。
また高級霊が伝えようとしている内容は、言葉の壁の他にも、霊媒の潜在意識、書籍編集者の意思、日本語翻訳者の意思・スキル・知識といった幾つものフィルターを通った後に一冊の書籍になっています。
交霊会の現場で、その雰囲気に浸りながら、そして参加者の背景を知った上で直接聞くものとは感じ取るものが少々違ってもしょうがありません。
以上のことから、霊訓を読む時は読み手の方も注意しながら読む必要がある、と言えるでしょう。
さらに高級霊と呼ばれる存在自身が、
「私の言っていること全てが正しいとは言いません」
「私の伝えていることを盲信しないでください」
「あなたの理性のフィルターを通してください」
「そのうえで受け入れられるものは受け入れてください」
「理性が納得しないものは棚上げしておいてください」
というような注意を様々な霊訓の中で何度も何度も伝えています。
ここで私事で恐縮ですが、以上のような点を踏まえて、私が講座でお伝えする霊的真理については
① 複数の霊界通信で伝えられているか、普遍的内容であること
② 私が実際に体験していて得心していること
③ 知性や理性を凌辱せず、良識から逸脱していないこと
というようなフィルターを通ったものだけで構成するように心がけています。
〇〇の霊界通信に書いてあったから…、有名な〇〇先生が言っていたから…、〇〇という大いなる存在が伝えてきているから…、というような態度でスピリチュアルなものに臨んでいるうちは、皆さんの理性を使っていません。
これはとても危険な態度です。未熟で邪悪な霊の餌食になりかねません。
目に見えない事項に対しては慎重であるべきなのです。
私の師匠である山本貞彰は
「目に見えないこと、霊的なことはまずは疑ってかかりなさい。疑っても疑っても疑いきれないものが本物です」
と折に触れておっしゃっていました。
質問者さんも「シルバーバーチが述べているから全て正しい」という認識があったとしたら、その認識は捨てた方が良いでしょう。そのような認識はまさに盲信となってしまいますから、「シルバーバーチ教」というカルトに入信しているようなものです。
得心できるものだけ受け入れ、よくわからないものは棚上げしておけば良いと考えます。
今現在の自分では、それを理解するだけ成長していないというように捉えられたらいかがでしょうか?
将来、棚上げしておいたものが腑に落ちる瞬間が来るかも知れません。
未熟で成長途上の私たち人間です、そうやって一歩一歩前進していけば良いのではないでしょうか?